「こんにちは~!」 きりんの家へ
母の部屋に入ると・・・
母、なにか妄想中・・・
なにか見えるのかしら??
自分の手で遊んでいます。
私は話しかけもせず、母がどうするのか、しばらく
眺めることにしました。
母、(しっかり)認知症が入っています。
あれれ、自分の指、口に入れてない?
何本入れているんじゃい!
あらら
今度は・・・親指・・・
そこでわたし、
「こら! 指なんか食べるんじゃないの!」
と注意します。
母、びっくりして指を離します。
だけど・・・
私の方を見るでもなく、まだ指と遊んでいます。
まだ自分の世界にいます。
まだ指が食べたそう・・・
また・・・なめようとしているのかしら
今度は人差し指・・・
こっちの指の方がおいしいそうかなぁって
思っていたりして・・・(笑)
たぶん暇なんだろうなぁ。
◆わが家では一日二食、(おやつなし)
きりんの家では一日三食のご飯と、おやつもある。
だから、お腹が空いてるわけではないんだよね。
ということで
母は自分の指で遊んでいるだけだと思うけど、指を
口に入れたのを見たのは(私は)初めてだなぁ。
家でもやっているのに私が気づかないだけだろうか?
◆家では常にラジオがついている
家では、母が寝ていようが起きていようが、夜中以外
(母のうしろ1mくらいの所に)ラジオをつけている。
母は耳がいいから、たぶんラジオの音は聞こえている
はず。・・・しかし・・・
内容はほとんど理解できてない。ま、それでもいいと
思っている。
たま~に天気予報の後などに「今日は寒いって」・・・と
言うことがある。たま~に、たま~にまともな時もある
ってことみたい。
時々ラジオから昔の歌が聞こえてきたら気持ち良さそう
にしている。
夜中には音量をすごく下げて流している時もある。
NHKのラジオ深夜便が・・・結構いい番組だから。
私が母の部屋のラジオをつけっぱなしにしているのは、
母に、瞬間瞬間で構わないから、日本語のやりとりや、
時々流れてくる音を楽しんでちょうだいな・・・という気
持ちがあるから。
どんどんボケるのは仕方ないとしても、いくらぼけても
日本語を忘れないでね・・・という気持ちがあるから。
テレビを流しっぱなしにするより、ラジオを流しっぱ
なしにする方が、寝ながら聞くには効果があるのでは
ないか・・・と勝手に思っている。
きりんの家にもラジオを持っていった時期もあったけ
ど、この頃はテレビがあるリビングと同じ空間の部屋
を利用するので持っていくのをやめた。
だけど、母の指しゃぶりを見て、ラジオか何かついて
ないと退屈なのかなぁ~って(勝手に)解釈した。
ホントは、家と同じようにラジオが普通に流れている
部屋の方がいいのかな・・・と私の方が改めて思うよ
うになってきた。
◆1/15
母に名前を聞いたら、旧姓で答えた。
母は10代の終わりに結婚したので、旧姓で答えるなん
て・・・なんてこった。ま、これも珍しくないんだけ
どね。あらま、今日も10代の自分に戻っているんだね。
娘としたら複雑だよね~。真面目に考えても仕方ない。
こういう場合は・・・流すしかない。
認知症はね、
中島京子著『長いお別れ』という本の中では、
ゆっくり長い時間をかけて、遠くにいってしまうから
(アメリカでは認知症のことを)長いお別れと言うん
ですって。
ああ、私は長いお別れになる過程の、今、一部分を母
とこうして過ごしているんだな~って思うのデス。